メディアでは分からないライドシェアの問題に切り込みます!
2023/11/10
子育ての不安感やマイカー送迎(家族タクシー)の負担について、書こうとしている間に、ライドシェア問題が風雲急を告げる事態になってきました。少しライドシェアを念頭において、子育てタクシーの話の続きをしようと思います。
横浜市の子育て環境を例に挙げます。仮に100世帯が住む「YOKOHAMAマンション」があったとしましょう。そのマンションに住む子育て世帯は、わずか7世帯。この時点で、横浜ですら、子育てをしている家庭は、完全に少数派です。人口減少著しい地方については推して知るべしでしょう。7世帯の内、5世帯は自分が育った町で育児しているのではない、いわゆるアウェイ育児をしており、かつ3世帯は共働きです。共働きであったとしても、子供に習い事をさせたいと考える親が多い訳ですが、そこで問題になるのが送迎です。
ベビーカー連れの外出は、億劫だ、気疲れする、という調査結果やストーリーは事欠きません。日本人は、ベビーカー連れの親子が外出時に支援される経験が非常に少ない、という残念な国際比較もあります。「乗れないエレベータ問題」や多胎児家庭の公共交通の利用し辛さ等、最近話題になったニュースを見た方もいると思います。子育てが孤育てと言われる所以です。
又、子育て世帯が、高齢世代に比較し近所付き合いをせず、地域で子どもを通じた付き合いというのは希薄になっている、内閣府の「社会意識に関する世論調査」等でも明らかになっています。結論、「子育て世帯の外出は、誰かがサポートしないと、マイカーへの依存が進む」です。それが本当に社会的に良いこと、幸福なことなのでしょうか?
だから優しい運転手さんを増やして、公共交通の子育てタクシーを使いましょう、となれば話は美しいのですが、ここでドライバー不足、という問題に直面します。子育て支援周りは、ファミリーサポート事業(市町村の児童の預かり等の相互援助活動)でも、送迎ニーズが非常に多いにも関わらず、提供出来る会員が少ないのが実情です。交通空白、福祉の分野における自家用有償旅客運送は、担い手がニーズに十分応えられるほどに確保出来てないことが問題です。要は、タクシードライバーが足りないのではなく、(バス、トラックもそうですが)「誰か何かの為に、車を運転してあげる人」が、少ないのです。
ライドシェアの推進派は、決定的に「誰が運転するのか?」という視点が不足しています。
規制緩和は、「人の働き方」は変えますが、人自体は増やせません。使いたい人が高い料金を払って自家用車を呼ぶことになれば、自然と報酬を求めて担い手は出てくる、というのは完全に甘い予測です。移動需要がそもそもない交通空白に、ライドシェアを解禁しても問題解決にならないのは、業界人なら誰でも分かることで、声を大にする必要があります。
確かに、都会部でライドシェアを解禁した場合、一定のライドシェアドライバーは出てくるでしょう。しかし、それは、タクシーが今現在ある中で、ダイナミックプライシングの簡易版タクシーが追加される話で、限られた需要をタクシーとライドシェアで奪い合う構図になる為、双方の収入が増えない(タクシーは減る)のは目に見えています。新しい選択肢が出来て良い、と言う人がいますが、タクシーが付加価値路線で、ライドシェアが下駄という古びた幻想を想定しているのでしょう。しかし、これは、公共交通における市場の失敗という大原則から何も学んでいないだけです。タクシーが一気に完全消滅すれば話は別ですが、単なる非正規労働者の増加と低賃金の正社員ドライバーが量産され、空車が駅周辺の路上や繁華街を彷徨う姿は目に見えています。
「繁忙時の捕まり辛さ」「乗り場の不在」「交通空白」「オーバーツーリズム」という問題点の異なる事象を一緒くたにしたメディアの報道にはウンザリです。また、我々としても、感情的な大声や空気を読んだ中途半端な対応ではなく、より緻密で地道な対応策を丁寧に説明していく必要を痛切に感じています。
日本のタクシーはガラパゴス状態で、確かに子育てタクシーはさながらガラパゴス島の珍獣と言ってよいでしょう。ロンドンのブラックキャブに陣痛送迎はないし、同じタクシーでも国民性や歴史で異なるのは当たり前で、インバウンドの方に日本ならではの良いタクシーを体験してもらえるように努力をするのが筋です。
すっかりマイカー送迎の負担を軽減するという子育てタクシーの目標から脱線しました(汗)子育てタクシーの話に戻ってくるようにしますので、次回も少しライドシェアのことを続けたいと思います。